OKを出せない品証やPMに価値はあるのか?

問題点を指摘するだけで「どうすれば良いか」「どうなったら良いのか」、OKを出さない人の品質分析には価値がないと感じます。

それだけか、そのような人の指摘に応えるために、無駄に時間だけが取られるため、マイナスの効果と言えるかもしれません。


ここ数年、「なぜなぜ分析」「カイゼン」という言葉が流行ったせいか、その名の基に、形式的な指摘・分析を求める人が増えたような気がします。

具体的に言えば、OKを出さない人は、品質分析をした結果の文章だけしか見ず、その文章の内容にだけ指摘をします。
肝心の仕様書やソースコードは見ないのです。

その結果、本当に品質を満たしているのか、という本質的な議論にならず、文章の書き方だけの議論になってしまいがち。
これでは、意味がない。


悪魔の証明」という言葉がありますが、バグがないことを証明するのは、不可能と言えます。

当然、品質を保証するために、バグがないこと(正確に言えば、利用者にとって重大な問題がないこと)を示すことは必要なことなのですが、そのための判断を自分でできない人が、指摘だけをしても、終りの無い分析になるだけでしょう。


昔から「品質保証」という言葉がありますが、問題を「指摘」することが重要なのではなく、その名前の通り「保証」することが重要なのです


私自身、PMOの立場として、プロジェクトの品質分析を行うことも多いのですが、NGを出す分、「何をすれば良いのか」「どうなれば良いのか」、OKとなるための判断基準/根拠を明確に示すように心掛けています。